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日本代表のオーストリア遠征の取材を終えた私は、帰国する前にボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボに立ち寄ることにした。12日に当地で行われる、ボスニア対モルドバのユーロ2008予選の取材が表向きの目的だったが、サラエボそのものが真の目的であったといえる。私がかの地を訪れるのは、初めてバルカンを訪れた1997年以来、実に10年ぶりのことだ。 コシェボ・スタジアムでのゲームについては、特筆すべきこともなく、何とも寒々しい内容に終始した。サミハリジッチもバルバレスもいないボスニアは、昨年ドルトムントで日本代表が対戦したチームとは雲泥の差で、精彩もすごみも全く感じられない。実際、22分にモルドバに先制ゴールをあっけなく献上すると、その後はガッチリと守りを固められ、ほとんど見せ場のないまま0−1で終了した。閑散としたスタジアムには「アイモ(行け)! ボスナ・ボスナ・ボスナ! アイモ! ヘルツェゴビナ!」というBGMが空しく反響し、観客はブーイングもそこそこに「ああ、今度もダメか」という諦念を背中に滲ませながら、すごすごと家路に就いた。 ディフェンディング・チャンピオンのギリシャ、そしてトルコ、ノルウェーといった強豪と同組ながら、一時は2位にまで上り詰めたボスニア。しかし前節、アウェーとはいえハンガリーに敗れ、そして今回はホームでモルドバにも敗れ、格下に2連敗を喫したことで事実上、ユーロへの道は途絶えたといってよいだろう。夢にまで見た「本大会デビュー」は、今回もまたお預けとなってしまった。 今回の試合を取材して、大きく違和感を覚えたのは、異様なまでの観客の少なさである。コシェボのキャパは3万4600だが、ざっと見たところ1万にも満たなかったように思える。代表とクラブの違いはあれど、私が10年前に訪れたジェレズニチャル・サラエボのホーム、グルバビッツァでは、特に天王山でもないリーグ戦で押すな押すなの人だかりができていたことを思い出す。あのころは内戦が終結して間もないこともあり、荒廃しきったサラエボにあって、フットボールだけがほとんど唯一の大衆娯楽、といっても過言ではなかった。人々は間違いなく、フットボールに飢えていたのである。してみると、今のサラエボ市民は、フットボールに飢えていない、ということになるのだろうか。 当たらずとも遠からず、なのだと思う。 10年ぶりに訪れたサラエボの街は、何もかもがすっかり様変わりしていた。フェルハディア通りはすっかりお洒落なブティックやカフェが並ぶようになり、通りを闊歩する若者たちのファッションもすっかり垢抜けたものになっていて、あちこちで携帯電話の着信音が鳴り響いている。サラエボの街は、賑やかな色彩と音が溢れていて、フットボール以外の楽しそうなものは幾らでも目にすることができた。 そんな2007年のサラエボから、殺戮と破壊の恐怖が横溢していた90年代のサラエボを、そしてその地をおっかなびっくり旅していた自分自身の姿を想像するのは難しい。そこにあるのは、ヨーロッパでよく見られる、ありふれた都市の風景でしかなかったからだ。 もちろん、それが「悪い」というつもりは毛頭ない。サラエボは不死鳥のごとく復興したのだ。素晴らしいことだと思う。ただし、こうも思うのだ。もし、私かサラエボを訪れるのが10年遅かったなら、これほどバルカンにのめり込むこともなかっただろうし、当地のフットボールに魅了されることもなければ、現在の仕事につながることもなかったのではないか――と。 大切なのは、出会いのタイミングなのだ。人であれ、土地であれ。人がそうであるように、土地も時代とともに変わっていく。内戦中でも復興後でもない、1997年のサラエボを訪れ、そこで心打たれてシャッターを切り、文章にすることができたのは、これはもう必然的偶然であるとしかいいようがない。つくづく、運命とは不思議なものだと思う。 とはいえ、サラエボでほとんど変わっていない風景というのも確実に存在した。それはフットボールをめぐる環境である。前述のコシェボ・スタジアムしかり、オシム親子の心の故郷・グルバビッツァしかり、隣接する少年サッカーのグラウンドまたしかり。グルバビッツァに関しては、スタジアムがチームカラーの青に塗り替えられ(ペンキの跡が多少、生っぽかった)、なぜか古い機関車がオブジェのように飾られていたものの、スタンドとピッチの間に横溢する凛とした空気は10年前と大きく変わるところはなかった。ちなみに、私がこのスタジアムを訪れたとき、現在ジェフ千葉で指揮を執るアマル・オシムは、まだ選手兼監督でジェレズニチャルのベンチに座っていたそうだ(本人談)。 サラエボが復興し、豊かになったことで、当地におけるフットボールの影響力は相対的に弱まってしまったのは、時代の必然であり、旅人がとやかく言及することでもないだろう。いずれにせよ、私が10年前に体感したサラエボの風景は、もう二度と目にすることはできない。同様に、10年前の自分が確実に持っていた、いささか荒削りながらも瑞々しい感性と文体もまた、今となっては望むべくもないだろう。そんなことをふと考えてしまう、秋の夜長である。 photo:067 グルバビッツァ…サラエボ 2007 宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya 1966年、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。誰にも顧みられない鄙びたスタジアムと、当地で飲む酒をこよなく愛する。著書に『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)『ディナモ・フットボール』(みすず書房)がある。 |
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