フットボールの犬 宇都宮徹壱

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help リーダーに追加 RSS 第64回 ダエイ兄さんの引退に想う

<<   作成日時 : 2007/06/04 17:30   >>

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 元イラン代表、アリ・ダエイが28日、現役引退を発表した。同国のスポーツ紙が伝えたところによると、監督兼任でプレーしていたサイパというクラブで、自身のゴールで優勝を決めて有終の美を飾ったのだという。いかにもこの人らしい、華やかな身の引き方だった。1969年生まれの38歳。代表では149キャップ。109ゴールは世界記録だ。

 私はこのダエイを常々「兄貴」あるいは「ダエイ兄さん」と呼んでいる。もちろん、親しみと畏敬の念を込めて。威風堂々にして孤高の佇まい、国内外での揺るぎないキャリアと名声、そしてアジアのスケールを越えたストライカーとしての能力と実績――。これほど「兄貴」然としたフットボーラーというのは、現役の中ではオリバー・カーンくらいしか思い浮かばない。2年前のアジア最終予選の取材でテヘランを訪れたとき、投宿したホテルがたまたまイラン代表と一緒だったのだが、ロビーですれ違ったダエイ兄さんが全身から放つオーラに、しばし釘付けとなったことを昨日のことのように思い出す。

 さて、われわれ日本のサッカーファンにとってのダエイ兄さんは、やはり「最強の好敵手」というイメージが強烈である。アジアから世界へと飛び出そうとしていた、まさに勃興期の日本にとり、イランは常に重要な場面で相対するライバルであり、その中心には常にダエイ兄さんがいた。

 兄さんの代表デビューは、意外と遅くて1993年。そう、まさにワールドカップ・米国大会予選の年である。ドーハでのアジア最終予選、日本に唯一の土を付けたのが2戦目で対戦したイランであり、兄さんは試合を決定付ける2点目を挙げている(スコアは1−2)。この痛恨の敗戦が、最終戦での「ドーハの悲劇」へとつながっていったのは周知の通り。

 次の対戦は、97年のワールドカップ・フランス大会予選プレーオフ。この試合でも、ダエイ兄さんは大いに存在感を示していた。まず、アジジの先制ゴールを呼び込むシュートを放つと、自身もマハダビキアのクロスから豪快なヘッドで2点目を叩き出し、テレビの前のすべての日本人を絶叫させた。あくまでも結果論ではあるが、いわゆる「ジョホールバルの奇跡」があれほど私たちの心を揺さぶったのは、もちろんワールドカップ初出場の歓喜というものもあったのだが(延長Vゴールで日本が3−2の勝利)、あの試合におけるダエイ兄さんの大暴れっぷりも、決して欠く事のできない要素だったと思う。

 その後、99年の横浜でのテストマッチ(1−1)を挟んで、2004年のアジアカップでも対戦(0−0)。そして、翌05年のワールドカップ・ドイツ大会アジア最終予選では、テヘランで日本に唯一の黒星を与え(1−2)、横浜ではPKながら豪快なゴールを決めて見せている(2−1)。ドーハ以来のイランとの対戦は6試合に及び、結果は日本の2勝2分け2敗。その6試合すべてにダエイ兄さんは出場し、実に4ゴールを挙げている。

 日本のアジアでの最大のライバルは、もちろん韓国だ。しかしながら、ひとりのフットボーラーとして考えた場合、ダエイ兄さんは最大にして最強のライバルであったと断言できる。何しろ、これほど長きにわたって日本の前に立ちはだかり、そのたびにわれわれの闘争本能をかき立て、そしてダメージの大きいゴールを叩き込んでくれたのだから。こんなにキャラの立った好敵手は、今後そうそう現れないだろう。2010年大会のアジア予選にダエイ兄さんの姿が見られないのは、何とも寂しい限りである。

 さて、親日家としても知られるダエイ兄さんだが、かつてJリーグ行きが噂されたことがあった。94年当時、ジュビロ磐田の監督をしていたハンス・オフトが、かなり真剣にダエイ獲得に動いていたようだ。オフトといえば、いうまでもなくドーハの時の代表監督だったから、対戦相手としてのダエイ兄さんの怖さは身にしみて感じていたはず。逆に指揮官として、これほど頼りになるFWもいないと考えたのだろう。結局、この移籍話はかなりの具体性を帯びていたものの実現には至らず、代わりに獲得したのが元イタリア代表のスキラッチだった。

 磐田がなぜ、ダエイ獲得を断念したのか、その理由は分からない。クラブ間でのコミュニケーションの問題だったかもしれないし、興行的な判断が働いたのかもしれない。あるいは「Jリーグ初のイスラム教徒のプレーヤー」に、クラブの決断を鈍らせる何かがあったのかもしれない。いずれにせよ、兄さんのJリーグデビューは幻に終わった。

 それでも――と、私はつい想像してしまうのだ。もしダエイ兄さんが磐田でプレーしていたら、かなり面白いことになっていたのではないか、と。まず単純に、ゴン中山とダエイ兄さんの「アジア最強ツートップ」というのは見てみたかった。あの強烈なキャラクターは、彩り豊かなJリーグ黎明期にマッチしていただろうし、スタジアムには多くの在日イラン人が詰め掛けて、まことに興味深い光景が繰り広げられていたかもしれない。

 そしてもし、ダエイ兄さんがJリーガーになっていたなら、おそらく彼の後輩たちもまた、日本でのプレーを選択肢に考えるようになっていた可能性は十分に考えられよう。イランだけではない、サウジアラビア、イラク、バーレーン、さらにはタイやウズベキスタンなど、要するに韓国・朝鮮籍以外のアジアのスター選手が、日本を目指すようになっていたかもしれない。そう、Jリーグは名実ともに、アジアナンバーワンのリーグになっていたかもしれないのである――。

 そんな想像に思わず浸ってしまうくらい、ダエイ兄さんは偉大なフットボーラーであった。何はともあれ、兄さん、お疲れ様でした。


photo:064 アザディスタジアムで国旗を振るイランの少年…テヘラン 2005


宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya
1966年、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。誰にも顧みられない鄙びたスタジアムと、当地で飲む酒をこよなく愛する。著書に『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)『ディナモ・フットボール』(みすず書房)がある。

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