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久々に旅に出た。日本代表とも、欧州フットボールの王道とも無関係の土地で、のんびりと現地のサッカーを観戦する。もちろん競技レベルは低いかもしれないけれど、ペイTVでもYouTubeでもなかなかお目に掛かれないレアなフットボールの現場というものは、なかなかに愉しいものである。ある意味フットボール好きにとって、これほど贅沢な時間もないだろう。 さて、旅の物語については、いずれどこかで披露することとして、今回は元スーパースターとの旅先での邂逅について、取り急ぎご報告することにしたい。その人の名は、サルバトーレ(トト)・スキラッチ。1990年ワールドカップ・イタリア大会の得点王にして、現役時代の晩年をジュビロ磐田で過ごした、あのトト・スキラッチである。場所は南イタリア、シチリアの州都パレルモ。現役引退後、彼は生まれ故郷のこの地で、自身の名を冠したサッカースクール「スクオラ・カルチョ・トト・スキラッチ」を運営していた。 トトとの邂逅は、単純な思いつきが契機となった。 ちょうどシチリアのサッカー事情を取材していたときに、コーディネーターと通訳をお願いしていたミラノ在住のホンマヨシカさんから「スキラッチのスクールがパレルモにあるみたいですよ」と教えてもらい、当人に会えたらいいな、という軽い気持ちで現地に向かうことにした。旧ユーゴ諸国でも、イタリア(特に南部)でもそうだが、あらかじめアポイントを取っていてもドタキャンを食らうことが多い代わりに、ひょんなことから思わぬ人と出くわすことが少なくない。今回も、密かにそれを期待していたわけだが、まさかこれほど簡単に会えるとは思わなかった。 「現役を辞めて96年からここのサッカースクールを運営している。それ以外に、地元パレルモのテレビにも出演している。仕事があれば、ローマ、ミラノにも飛んでいくよ」 そう近況を語るトト・スキラッチ。だが実際には、現在のガールフレンドとローマで暮らしているらしく、パレルモに戻ってくるのは、それほどひんぱんではないらしい。スクールの運営は、親族と信頼できるスタッフに委ねられており、大小2面の人工芝コートに隣接するカフェでは、トトによく似た顔の弟が切り盛りしていた。店には、これまたトトそっくりのお父さんが佇んでいて、あらゆる面で一族の血の濃さを実感させられる。 さてトト本人だが、ずい分と髪の毛がふさふさしていて、最初は当人とは気づかず「兄弟のひとりかな」と思ったくらいの変わり様であった。ホンマさんいわく「どうも以前から頭の薄さを気にしていたみたいで、植毛手術を受けたみたいですよ」。なるほど、何やら不自然な髪型だと思ったら、そういうことだったのか。余計なお世話だが、この人は禿げ頭になってもカッコいいはず、と勝手に思っていただけに、ちょっと残念な話だ。 そんなトトへの突撃インタビュー。さすがに急な話だったので「5分程度なら」という条件で、矢継ぎ早の質問に答えてもらった。以下はその要約である。 「日本には、ジュビロ磐田の10周年行事に招かれて以来、行っていないな。向こうのニュースも、ほとんど入ってこない。ジュビロ時代で覚えている選手は、名波、中山、高原、藤田、服部……。え、名波と服部はヴェルディに行ったの? ヴェルディは今、2部だって? 信じられないな。 日本の印象は、とにかくみんな礼儀正しく、時間が正確だということ。食べ物も気に入っている。今でもミラノに行ったら、よく日本食レストランに行っているよ。こっちとの一番の違いは、湿度の高い8月にも試合があったことかな。でも自分としては、暑さはさほど苦ではなかったけどね。磐田は小さい街だったけど、住み心地はよかったよ。休みの日には東京や京都にも行けたし。 (現役時代と今とのサッカーの違いは)よりフィジカル重視になったと思う。スピードも今のほうが速くなったが、ファウルでゲーム中に中断することも多くなったね。 (カターニアで警察官が殺害された事件については)残念としかいいようがない。サッカーは本来的に楽しむものだ。日本でプレーしていた時は、そういったことは一切なかった。日本のファンは非常に礼儀正しく、子供を連れてきても何も問題のない環境だった。サッカーのゲームは本来、そうあるべきだと思う。 (故郷のパレルモではなく、同じシチリアのメッシーナでプレーしたことについて)それは仕方がない。運命だよ。もしパレルモに行っていたら、その後のサッカー人生はなかったかもしれない。ユーベにもインテルにも、さらにはジュビロにもいっていなかっただろう。それに、自分の生まれた街でプレーするのは、何かとプレッシャーもあるものだ。この運命は、私にとって正しいものだったと思う。だから後悔はしていない。もちろん私はパレルモを愛している。だから、ここにスクールを作った。ここでは5歳から16歳までの子供たちが500人学んでいる。ここには私の家族がいるんだ……」 家族といえば、この日はトトの傍らにはガールフレンドのほかに、前妻とその間に生まれた愛娘のジェシカがいた。この夫婦が別れたのは、トトが来日する以前の話だそうで、前妻も娘も日本での暮らしを経験していない。ちなみに娘のジェシカは今年18歳。現在は地元の大学で中国語とアラビア語と英語を学んでいて、将来はジャーナリストになるのが夢だという。大きな黒い瞳が何とも利発そうな、美人の娘さんである。 それにしても、私とほぼ同世代のトトにこんな大きな娘がいるのには驚いたが、それ以上に驚かされるのが、自分のガールフレンドと前妻と娘を一緒に引き連れて歩く、その豪放なメンタリティである。親も兄弟も前妻も娘もガールフレンドも、一族郎党全員面倒見ちゃうよ! という、南部イタリア特有のメンタリティ――。気がつけば私の頭の中では「ちゃららららららららららら〜♪」という、映画『ゴッドファーザー』のテーマ曲が大音響で鳴り響いていた。 そんなトト・ファミリーに別れを告げて、その場を辞そうとしたとき、長年スタッフとしてスクールを見つめてきた初老の男が、こんなことを教えてくれた。 「トトがサッカーを始めたのは、スクールの敷地内からそれほど遠くない場所なんだ。このスクールは、ただサッカーを教えるだけではない。経済的に恵まれない子供たちに教育を施すという目的もある。実際、1割ほどの子供は、学費が払えない家庭環境にあるけど、そんな子供のためにトトは学費の免除はもちろん、用具の面倒まで見ているんだ」 なるほど。トトはスキラッチ一族のみならず、故郷の子供たちにとってもゴッドファーザーだったのである。トトの元気な姿を拝むことができた以上に、シチリア特有の大家族の物語に触れることができたのは、私にとって密やかな収穫となった。 もっとも、あの日以来『ゴッドファーザー』のテーマ曲がノンストップで脳裏に鳴り響いて、少々困っているのだが……。 photo:062 トト・スキラッチと愛娘ジェシカ…パレルモ 2007 宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya 1966年、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。誰にも顧みられない鄙びたスタジアムと、当地で飲む酒をこよなく愛する。著書に『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)『ディナモ・フットボール』(みすず書房)がある。 |
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