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天皇杯、高校選手権、そしてインカレも終わり、今オフは相次ぐビッグな人事往来の話題一色である。そんな中、私はひとりの選手の移籍話に注目していた。その名を池元友樹という。柏レイソルへの入団が決まった21歳のFW――といっても、多くの方にとってはあまり馴染みのない名前であろう。前所属はニューウエーブ(NW)北九州。Jリーグでの実績は皆無だ。ただし一時期、U-19日本代表に名を連ねていたこともあり、当時の所属が「リバープレート」であったことで思い出す方もいらっしゃるかもしれない。 ちなみにNW北九州が所属する九州リーグは、実質的にはJFLのひとつ下の「4部リーグ」。池元はそこから「3階級特進」で、J1クラブに昇格したことになる。確かにこれまでも、古橋達弥(Honda FC→セレッソ大阪)、宇留野純(Honda FC→ヴァンフォーレ甲府)、若林学(栃木SC→大宮アルディージャ)など、JFLからJへの「ひとり昇格」の例は、あるにはあった。しかしながら、地域リーグから一気にJ1まで駆け上がった例は、少なくともJリーグが2部制になって以降、初めてのケースではないだろうか。 私が初めて池元の存在を知ったのは、昨年の晩秋に行われた全国地域リーグ決勝大会である。全国の地域リーグ優勝・準優勝チームが集うJFLへの登竜門。その得点能力を見込まれた池元は、NW北九州からFC岐阜(東海リーグ1位)にレンタル移籍して同大会に出場し、神がかりのような得点感覚を発揮していた。 高知での1次リーグでは、3試合で5ゴール(ハットトリックを含む)。決勝リーグでも、最大のライバルと目されていたV・ファーレン長崎(九州リーグ1位)との最終戦で2ゴール。勢いを得た岐阜は、JFL最下位、ホンダロックとの入れ替え戦でも、アウェー4-0、ホーム4-1、合計スコア8-1という圧倒的なスコアで、見事JFL昇格を果たした。 かくして「助っ人」としてのミッションを、これ以上ない形で終えた池元は、北九州に帰ることなく、さりとて岐阜にとどまることもなく、新たな戦いに挑むべく柏からのオファーを受けることとなった。なんというシンデレラストーリー。だが、ここに至るまでには、それこそ継母に苛め抜かれた本家・シンデレラ以上の艱難辛苦を池元は味わっているのである。 出身は名門・東福岡高校。ポジションは左ウイングだった。2年の冬には選手権に出場したものの、当時の池元はJのスカウトから注目される存在ではなかった。結局、卒業時には、どのクラブからも誘いはなし。そこで北九州の高校生は、一躍アルゼンチンに渡る決意をする。そして、名門リバープレートのユースチームで苛烈極まりない生存競争を潜り抜け、筆舌に尽くしがたい苦労と努力の末に、池元は2年目にして4軍(アマチュアリーグ)昇格を果たす。そして04年にスイスで行われたベリンツォーナ国際ユース大会では、リバープレートの一員として、平山相太やカレン・ロバートらを擁する日本の高校選抜と対戦。その後「海外組」としては唯一のU-19日本代表にも選出される。 もっとも、眩いスポットライトを浴びた時間は、ごくわずかであった。2年の武者修行を経て帰国した池元は、練習生として東京ヴェルディや清水エスパルスのテストを受けるが、いずれも契約には至らず。しかし、それでも彼はJリーガーになる夢を決してあきらめることはなかった。心機一転、故郷の北九州に戻った池元は、NW北九州に入団。最初の05シーズンは10試合で15得点を挙げて、いきなり九州リーグ得点王となると、翌06年も16試合で12得点と、押しも押されぬエースストライカーとして君臨。やがて、その研ぎ澄まされた得点感覚は、FC岐阜をJFLに押し上げる原動力となり、さらには自身のJへの「ひとり昇格」への道をも切り拓いたのである。 アルゼンチンで2年、地域リーグで2年、気が付けば、高校卒業から4年が過ぎていた。池元の4年間は、他の大卒ルーキーとでは比較にならないくらい濃密かつ劇的なキャリアである。今後、こうした彼の数奇な運命が、全国区のメディアでフィーチャーされる日も遠からず訪れよう。だが今回の池元のケースは、私にとり、特に選手のキャリアアップという側面で、いくつかの興味深い示唆が含まれているように思えてならない。 最近は伊藤翔(中央大中京→グルノーブル)ばかりが話題になったが、高校から直接海外に向かうという選択肢自体、今ではさほど珍しい話ではなくなっている。問題は10代で海外移籍した選手が、現地でプロ契約できずに帰国した場合(むしろその可能性のほうが圧倒的に高いのだが)。少し前なら、Jや大学での実績もない、国内でのキャリアにブランクがある者は見向きもされないまま、下手をすればフリーター同然の扱いを受けかねない状況であった(実際、そういう人を私は何人も見ている)。だが今ではJFLや地域リーグを中心に、再チャレンジを期する若き才能に門戸が開かれるようになった。 そしてもうひとつ指摘しておきたいのが、3部や4部のクラブからトップリーグへ移籍するチャンスが、わが国にも広がってきたことである。5部のアマチュアクラブからワールドカップ得点王にまで上り詰めた、ドイツ代表クローゼのような「成り上がりの系譜」というものは、これまでは欧州や南米特有のものでしかなかった。それだけに、池元の「3階級特進」は、下のカテゴリーからJを夢見る選手たちに大いなる励みとなるだろう。 今回の池元のケースは、確かに時代が後押ししたという側面も否定はできない。ただし、ここで看過すべきでないのは、彼自身がJリーガーとなる夢を捨てることなく、あらゆる可能性に挑み、常にベストを尽くしてきたという事実である。池元の飽くなきチャレンジ精神と時代の潮流がシンクロしたことで、今回の「シンデレラストーリー」は実現した。もちろん、本当の戦いはこれからである。いくら九州リーグ得点王でも、スタメンへの道のりは厳しいだろう。だが、私は信じている。あの池元なら、限られたチャンスの中で結果を出し、いずれ近い将来、日立台のスタンドを揺らすような存在となることを。 そんなわけで柏サポーターの皆さん、池元友樹をどうぞよろしく。 photo:061 池元友樹…高知 2006 宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya 1966年、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。誰にも顧みられない鄙びたスタジアムと、当地で飲む酒をこよなく愛する。著書に『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)『ディナモ・フットボール』(みすず書房)がある。 |
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